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仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
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声 市川準監督のこと
人の記憶とは曖昧なもので、母が亡くなったとき、私は生前の母の姿を8ミリに残していたこともあってそのフィルムから母の動きや仕草を思い出せるのだが声だけは残せなかった。母の記憶で真っ先に失ったのは声の記憶である。

「市川です」
昼下がりのぼんやりした時間帯に受けた電話からその声を聴いた瞬間、私は硬直した。
「映画祭に伺えなくて済みません」
2002年、この年は映画祭が初めて公募を行った年だった。若手の作家の作品を公募によって集め映画監督の方に審査をしてもらうという、その審査員の一人を市川準監督にお願いしていた。監督は大変忙しく会場には行けないかもしれないがそれでもいいのであればといって、初めての公募に力を貸してくれたのだった。当時市川準事務所にはメールというものがなく、もっぱら電話とFAX、FAXを流した後こちらから電話を入れるという連絡の方法をとっていた。
「映画祭の方はどうですか?すすんでいますか?」
「映画祭への原稿なんですが、お願いされた字数よりかなり短いのだけどいいかな」
私はずっとつったたまま受話器を両手で握り、何かちゃんと話さなくてはという気持ちにかられながらも、何一つ気の利いた返事ができなかった。
「それじゃ2・3日中におくります。がんばってくださいね。」
電話がもう終わるというところでやっとでた言葉が「私は監督の作る光が大好きです。トキワ荘の廊下の光や東京夜曲の川辺の光、それと大阪の夜景のシーンが大好きです。絶対仙台にも来て仙台でも映画撮ってください。仙台の光もいいと思います」

この言葉は永遠にかなわないことになった。
2008年9月19日市川監督は突然亡くなってしまった。

今年の映画祭が9月19日から始まることが決まったとき、私はふと映画祭の中で市川監督に何かお礼がしたいと思った。形を少し変えながら今でも映画祭では新しい才能という公募プログラムが生きている。その創世記に力を貸してくださった監督に素直にありがとうが言いたくなりこのプログラムを企画し、ゲストを決め、上映作品には監督の姿が映っているものはないかと、今ではちゃんとメールもある市川準事務所の木下さんに相談して『晴れた家』という『トニー滝谷』のメイキング映画を決めた。

この原稿を書くにあたって今更ながら気づいたのだが『晴れた家』には監督の姿とともに声も記録されている。この当たり前にどうゆうことか最近まで気づかないでいた。
一足先に『晴れた家』を観た。7年前私の中で監督の姿にぴったりと記憶されている声に再会した。「残す・記録する」という映画の力によって。
その声との再会はとてもうれしくてでもやっぱりどこか悲しく、何となく照れくさかった。そしてあのときと同じように緊張し、今度は少しだけ泣いた。
『晴れた家』は『トニー滝谷』がまた観たくなるような、とてもいい作品だった。

当日は脚本家の向井康介さん、そして『晴れた家』のナレーションをしている俳優の山本浩司さんを迎え、思う存分市川監督の話をしてもらおうと思っている。二人からでる市川監督のことをみんなで楽しみたい。
『トキワ荘の青春』の廊下を照らすささやかな光や『大阪物語』での上空から映し出された音のない大阪の街の光、そんな風景に彩られた市川準映画の魅力を観客のみなさんと分かち合い、ここが市川準映画の新たな入り口になってくれることを願っている。

21日17:00「市川準ふただび」

当日このプログラムに来ていただいた方にささやかな感謝として小さな冊子をご用意しました。家内制手工業ゆえお世辞にも立派とは言いがたい体裁ですが、内容は素晴しくゲストのお二人、市川組の方々、そして監督の奥様を含めた8名の方から書き下ろしていただいた市川監督へのメッセージを掲載しています。 (kayeru)

晴れた家チラシ表


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