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仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
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ひたすら逸れていくもの 冨永昌敬『VICUNAS』
七夕からすこし遅れる7月9日、仙台で、冨永昌敬監督の『VICUNAS』(2002)に遭遇した。

その場所で私が一体何を見たのかを書き記すために、順序だてて思いだそうとするのだが、なかなかうまくいかない。
『VICUNAS』は掴めないのだ。掴もうとすればするほど、指のさきからこぼれ落ちてしまう、それがこの映画だ。

私は確かにそれを見た。しかしそれを所有することはできなかった。あるショット、ある音、それらを記憶のなかでこま切れにして慈しむ愛で方は、この映画にはそぐわないようだ。なぜなら『VICUNAS』は「見られるもの」「聴かれるもの」である前に、見ている私にとっての「いま、この時」だったから。私は確かに、そこにいた。イメージの向かい側に、音の只中に、映画とともに。

そして『VICUNAS』は、体験するそばからこぼれ落ちていく。
『VICUNAS』は、はぐらかしでも照れ隠しでも逃走でもなく、ただひたすらに私たちから逸れていく映画なのだ。
そこでの私は先回りができない。映画を掴みかけたと思った次の瞬間にはいつも、予想だにしない驚きがあらわれる。しかもその驚きは、出来事の結果としての驚きではなく、つねに通過点なのだ。驚きに立ち尽くす間もないまま、映画はぐんぐん続いていく。
私たちはしかし、おいてけぼりを食わされてもいない。映画とともに、映画のすこしだけ後ろをひた走る。そして冨永昌敬は、そうした観客の姿を嘲笑うことをしないのだ。

『VICUNAS』に向かうとき、まなざしでそこに映るものを愛でる暇など、スクリーンの肌理を撫でてほくそえむ暇などない。私たちはただ、映画とのランデヴーに身を投げる。
映画が眼の前にあらわれては消える、その一瞬ごとに。


あいお

「騙されない者はさまよう 冨永昌敬監督特集」にて
2006年7月9日 せんだいメディアテーク



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