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仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
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人が変わる瞬間に
映画のこの100年の歴史において、映画作家たちは映画の文法を発見してきました。言わずもながではありますが、例えばクローズアップも主観ショットももともとあったものではなく、誰かによって見つけだされ、そしてそれが引用されてきました。

多くの映画はその文法を使い、観客が登場人物に投影するように作られています。観客の感情を波打ちさせ、観客をその映画の住人にしてしまう、そのような力を兼ね備えています。

しかし、この『セーラー服と機関銃』におけるキャメラは、まるで観察者であるかのごとく、徹底的に主人公の薬師丸ひろ子を見つめ続けます。登場人物の視線からのショット、つまり主観ショットは全くなく、キャメラは第三者として存在します。観客は映画で語られる物語を見るというよりも、薬師丸ひろ子がくるりくるりと動き出す主体として、スクリーンに立ち上がる瞬間に私達は立ち会うことができるのです。

映画の冒頭、タイトルバックに炎越しの薬師丸ひろ子がいます。その目には一筋の、しかし強い意志にみなぎった炎が見えてきます。

その炎が映し出されていることの幸福。感情が揺り動かされるのではなく、ある人間が主体になる瞬間に立ち会うことの幸福。映画が生み出す幸福には、このような形もあるのですね。


2006.7.21 仙台セントラル劇場にて 
相米慎二監督『セーラー服と機関銃』

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