shortpiece!blog
仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
〈映画の乗客〉4 二人の男 ―「触れること」と「見ること」―  『ニューワールド』 テレンス・マリック
『ニューワールド』で描かれている「新しい世界」は、新大陸のことであり、先住民族の首長の娘であるポカホンタスが、さまざまな「未知なるもの」と出会うことで拡がっていく世界のことでもある。
だがひとたびこの映画に出会うと、そこにはそのような「新しい世界」とは別の次元で「映画の世界」が広がりを見せていた。

『ニューワールド』は、世界に差し伸べられる手を映し出すことから始まる。ポカホンタス(クォリアンカ・キルヒャー)はその手であらゆるものに触れようとする。水面、風、光、未知の世界から不意にやって来た男(コリン・ファレル)の頬、そして神にさえも。まるで映画は触覚を再現できるのだと信じているかのように、あるいは叶わぬ夢と知りつつも、カメラは何かに触れる彼女の手を捉え、絡みつき、私たちの代わりに彼女に、第一の男に、そして神に触れ、世界の手触りを伝えようとする。映画を見ることでは充たされない私たちの触覚を刺激しようとするかのようだ。

ところが映画の後半、第一の男がポカホンタスの世界から姿を消し、何の前触れもなくもう一人の男が出現する。のちに彼女の夫となる第二の男(クリスチャン・ベール)が登場する瞬間は、この映画のなかで最もスリルに満ちている。失意の中にいる彼女を、やや離れた暗がりから盗み見ていた男が、そっと彼女に近づいて行き、唐突にフレームの外から侵入するとき、この映画のなかでそれまでなかった、全く新しい色気が立ちのぼる。その瞬間以降、それまで世界に触れようとしていたカメラはそっと身を引き、彼女に注がれる第二の男の穏やかなまなざしを収め続けることになる。「触れること」から「見ること」へ、『ニューワールド』は劇的に転回する。

第二の男の出現によって、世界は二つに分けられた。映画にとってどちらが「新しい世界」なのだろう。「触れること」に挑み続けることなのか、あるいは「見ること」を再発見することなのか。第一の男―「触覚」への見果てぬ夢―の方が特異で魅惑的であって、第二の男の出現は、『ニューワールド』を変哲のないメロドラマに変えたのかもしれない。しかし映画が最も得意とする「見ること」の魅力をあらためて伝えてもいる。二人の男はまったく別の歓びをたずさえて、フィルムのなかに存在している。


佐々木 愛

『ニューワールド』テレンス・マリック監督
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004 Powered By FC2 allrights reserved
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。