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仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
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ミュンヘンと台北をめぐる孤独
またもや仙台は大雪。悪天候をかえりみず、てくてくツルツルとMOVIXをめざし、三時間弱の大作「ミュンヘン」を観た。
…重かった。落ち込んでいる人、体調がおもわしくない人には、とても薦められない。これで雪がやんでいなかったら、ふらふらと路頭に迷い、遭難していたかもしれない…というのも、あながち冗談とは言えないくらいだ。

戦争で兵士たちが戦うのは、国のためではなく、残してきた大切な人を守るという思いがある。そして何より、生死を共にする仲間のためである…というのが、最近の戦争映画で繰り返し語られてきたことのように思う。…では、テロリストはどうなのか。彼らは、何のために、危険に身をさらし、標的をつけ狙うのか?
「ミュンヘン」の主人公は、イスラエル出身であることへのこだわりはあるようだが、たぎるような熱い愛国心は感じられない。しかし、国への忠誠を問われ、「仕事」を依頼されたとき、それを否定し、拒むこともしなかった(もしくは、できなかった)。その時彼は、テロリストとしての一歩を踏み出してしまったのかもしれない。彼に与えられた「仕事」は、始めたら最後、終わりなく続くものだった。そして彼は、徐々に蝕ばまれ、深い孤独に沈んでいく。
家族と別れた彼は、「仕事」の合間に、ショーウィンドウ前で立ち止まり、暖かな光に包まれたダイニングキッチンのディスプレイをしばしば眺める。憧れと希望のまなざしはいつしかうすれ、行き場を失った視線は宙をさまよう。
そんな彼を見ていたら、ふと、ホウ・シャオシェン監督の「悲情城市」のワンシーンが思い出された。政治運動に加わり、一家離散に追い込まれた主人公は、別れの前に、写真館で家族写真を撮る。背景は、カラフルな家具が並ぶ洋間の描き割り。まさに「絵に描いたような幸せ」となるはずの写真なのに、彼らは無表情にレンズを見つめる。
瞬間的に捉えられた「悲情城市」のまなざしと、じわじわと捉えられた「ミュンヘン」の移ろいゆくまなざし。描き割り、ディスプレーといった虚構に向けられた切実な思い。映画を観終わって数時間経ち、日常に復帰しながら、彼らのことをふと思う。ありふれた日常の光景が、映画の魔法にかかって、いつもと違って見えた。

cma
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