shortpiece!blog
仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
追悼・黒木和雄監督
惜しむべき人の訃報は、私の場合、なぜかいつもラジオだ。耳を疑う、とはまさにこのこと。
(以下、敬称略)手塚治虫、草野心平、古尾谷雅人、レスリー・チャン、久世光彦…そして、黒木和雄監督。
監督と出会った(名前を記憶した)のは、上京したての夏。「ぴあ」の夏休み映画特集に、「TOMORROW 明日」が紹介されていた。(ちなみに、同時に掲載されていたのは、井筒監督の「宇宙の法則」。兄妹を演じた古尾谷雅人さんも、石井めぐみさんも、もうこの世にいない…。)
当時はお金も時間も自由にならない身で、だいぶ後になってから、ビデオで「明日」観た。日常から異次元へ一気に持っていかれ、帰り着いた(観終わった)時に、「こういうのが映画というものなんだ!」と、ゾクッとしたのを憶えている。
「映画は作り手の青春を追う手段」という原一男監督の言葉によれば、黒木監督にとっての青春は戦争だった。しかし、戦争三部作と呼ばれる作品以外も、私にとって印象深い作品は多い。「スリ」「とべない沈黙」「竜馬暗殺」…実は、これらが黒木監督という糸でつながっていると気づいたのは、訃報記事を読んでから。黒木監督を意識して追ってきたわけではないにもかかわらず、私は、人生の折々に、黒木作品と向き合う幸運を得てきたのだ。
「竜馬暗殺」や「スリ」のくすんだ闇の深さに加え、「三部作」は、緑や水の美しさも印象深い。加えて、「美しい夏キリシマ」では、ラストに至ってシネマスコープ(スクリーンが横長のワイドサイズ)の意味がわかり、頭を殴られたような衝撃を受けた。

そんな黒木監督が、遺作となった「父と暮らせば」公開時に来仙していた。以下、その場に居合わせたスタッフの話。
………
黒木監督は、『父と暮らせば』をセントラルで上映した際に、仙台においでになりました。
自分は、その日まさにその映画を観た直後だったので、直接話を聴くことが出来て、かなりうれしかったです。
宮沢りえ、浅野忠信の起用は、制作サイドから「監督の映画は地味なので、役者だけは人気のある人にしてほしい」旨を言われたそうです。監督は、若い役者さんで誰が…ということにどうも疎く、スタッフの人たちのいわば投票のようなかたちで、あの2人に決めたとか。
宮沢りえに関しては、ちょっと不安であったそうですが、撮影開始時点で既に台詞が全て頭に入っている状態で、事前に広島の原爆記念館に丸一日出向いてきたりと、役作りをきちんとしてきたのだそうです。共演の原田芳雄は、それに対しかなり驚き、「これは負ける」と現場で焦り、彼を本気にさせたということでした。宮沢りえは、当時、今後の自分のあり方などに悩んでもいたそうで、この作品は、そんな自分自身を見つめることに繋がる作品になったようです。…あの演技には、それがでていたと思います。
黒木監督は、生きているうちに山中貞雄のことを映画にしたいと言っていました。
山中も、戦争があって亡くなった監督で、やはり黒木監督は、戦争と言うものに対し、こだわり続けた人だと思いました。『美しい夏キリシマ』のエピソードにある、主人公の友人の顔が、目の前で吹っ飛んでなくなり、それを助けることが出来なかったという話は、監督の実体験です。それ故、それをずっと引きずり、こだわり続けて、映画づくりを行ってきたのだと思います。
…28歳で亡くなった山中を、一体誰が演じたのだろうかと、今更ながら思いをめぐらしてしまいます。
………

映画はかたちがないのに、永遠に残る。黒木監督が遺してくれたフィルムは、いずれも色褪せることなく、時を越えて観る者を引きつけ、「映画」の神髄をみせつけてくれるに違いない。

cma
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004 Powered By FC2 allrights reserved
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。