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仙台短篇映画祭2011 9月17日(土)-19日(月・祝)
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コラム「育児と映画」番外~2 012年に出会った映画たち
今年もあとわずかです。
家族が増え、時間の使い方が変わり、手当たり次第に観ることはできなくなりました。ある程度狙って観るようになったぶん、「これは拾いもの!」に出会うチャンスが減ったように思います。そんな中での『英雄の証明』、『ドライヴ』、『リンカーン弁護士』(←次点ですが)はかなり「ほくほく」でした。それから、いわゆる映画館公開とは違う場で、素晴らしい作品に出会うことが多い年でもありました。来年以降も、映画館にふらっと行くだけではなく、よりアンテナを高くしないと、出会いを逃す…ということかもしれません。
では、今年出会った映画たち、私なりの選りすぐりを御紹介します。

●ミラノ、愛に生きる
ジャージを最も美しく、印象的に使った作品。本作含め、ティルダ・スウィントンが印象に残る年だった。
●サラの鍵
並走し絡み合うドラマの面白さと味わいを、存分に味わえた。
●なみのおと
後にも先にも、本作を越えるいわゆる震災映画は出てこない。語りと居住まいのみで表現される「あのできごと」は、観る者の心に染み渡り、沈み込むように深く印象付けられる。
●ドライヴ
設定、人物、物語、セリフ、上映時間、いずれにも無駄・スキ一切なし。香港映画が嫉妬する快作。
●ポエトリー アグネスの詩
善や悪とはいかに一面的であるか、を善良な市井の人々を通し見せつける。余韻というにはざらついた、すさんだ衝撃を残す作品。
●英雄の証明
ギリシャ悲劇をベースとしたシェイクスピア劇があぶり出す、今現在、世界のあちこちで起こっている勢力争い。違和感どころか鮮やかすぎるほどの先見性のある物語に驚かされる。
●SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者
映画と音楽の底力を、痛いほどに肌で感じられる作品。「やりたいことをやる」という潔さと力強さに溢れ、大量に垂れ流されるハデでキレイな「話題の超大作」群を凌駕し、寄せ付けない。
●おおかみこどもの雨と雪
アニメが、日常のきらめきをみずみずしく蘇らせる。今この時期に出会えてよかった、と感じた作品。
●サウダーヂ
充実の164分。浮き足立っている、地に足が付いていない、と感じることが増えた気がしていたが、「地」自体がぐらつき崩れかけているのだ、と気づけた。そんな「地」に、自分はどうやって足を付け、歩くか。そんなことを考え続けるきっかけをもらった。
●親密さ
どんなに目を見張っても、息を飲んでも足りない、4時間後に行き着く圧巻のラスト!
…と、これで十本になってしまいました…。それでも、もう少し。
○少年と自転車(いまだに感想を言葉にまとめきれない…。)
○リンカーン弁護士(続編ができそうなラストにニヤリ。ひそかに期待!)
○青梅街道精進旅行(沖田監督×高良健吾=今年は世之介!ですね。)

来年も、よき出会いがありますように…。

cma
割り切れなさを抱えて こそ、の語りの強さ(岩淵弘樹監督 「サンタクロースをつかまえて」)
クリスマス、ページェント。大好きなひとも、そうでない人も、この時期に仙台で本作に出会える幸運を。
仙台出身「遭難フリーター」の岩淵弘樹の新作「サンタクロースをつかまえて」は、フォーラム仙台にて28日までの限定上映です。お見のがしなく! 

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語りの映画だ。
あの震災、仙台光のページェント。いずれの映像も、繰り返し繰り返し目にしてきた。そこにどんな音や声をのせるか、で映像の印象はがらりと変わる。
さまざまな語り手が登場するが、感じたのは「こんなことをしていていいのだろうか」と割り切れなさを抱えてながら生活を営んでいる人の言葉が、いかに心の奥まで届くか、ということ。あくまで個人的な感想だが、信仰や家庭にゆるぎない価値観を見出だせている方々の言葉は、耳を傾け続けるのに集中力やエネルギーがいった。一方、悩みながらも震災直後に音楽を発信したミュージシャンや、演奏を撮影し、一方で子を急遽避難させたカフェ店主の言葉は、気負わずとも胸に染み込んでいく。
何より突出して素晴らしいのは、監督のお母様・恵子さんの語り。お母様のパートだけでも、この映画に出会ってよかった、という気分になる。何かしら手を動かし、歩きまわりながら、豊かな表情とともに繰り出されるまっすぐな言葉たち。会社からのメールに狂喜乱舞し、津波で流された車探しに「大切だけど大切じゃない」と逡巡する。彼女の言葉は、生き生きと躍動し、色褪せた風景に息吹を吹き込む。そんなハイテンションな語りをクールに反応する御主人とのやり取り?も絶妙。ここだけでもずっと見ていたい、と思った。
加えて好感を持ったのは、クリスマスを迎えた子どもたちの姿だ。サンタクロースやプレゼントにわくわくと胸をときめかせる…なんていう、ホームビデオでさえも使い古された風景を、本作は臆面なく丁寧に映し出す。これが、少しもあざとくない。それは、震災があったから、なのだろうか。あの日々を乗り越えたのだから、と受け手が感じて観るからこその、震災がもたらした皮肉な幸福なのか。
震災、ページェント、クリスマス。どれもわかりやすいイメージが定着しており、個人的には居心地悪さがある。それでも、楽しく、幸せな瞬間は潜んでいる。居心地悪さを抱えながらも、ふとそう感じてもいいのでは。映画を観てから一晩経ち、昨夜のもやもやを振り返っていたら、なぜかそんな答えが頭をのぞかせた。思い出すにつけ、また印象は変わるかもしれないけれど。
監督いわく、「振り子のような」不思議な作品だ。セルフ・ドキュメンタリー「遭難フリーター」の岩淵監督が、新たな作品を世に送り出してくれたことが、うれしく、喜ばしい。

cma
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「サンタクロースをつかまえて」:2012年、日本
監督:岩淵弘樹
撮影:山内大堂
録音:辻井潔
サウンドデザイン:山本タカアキ
挿入歌:麓健一、yumbo、はっぴいえんど
出演:澁谷浩次、岩淵恵子
時空を越える老若男女の 恋模様(アッバス・キアロスタミ監督 「ライク・サムワン・イン・ラブ」)
びっくりします。
あっけにとられます。
でも、観終えてしばらく映画のことで頭がいっぱいになり、頭の様々な場所が刺激されます。
是非、たまにはこんな一本を! どうか、びっくりしすぎて途中退出したりせず、最後まで御覧ください。

※桜井薬局セントラルホールにて、で2週間限定公開中!※

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いきなりのラストに、しばし茫然。「シャンドライの恋」の幕切れをふと思い出した。しかし、エンドロールにかぶってきたのは甘い音楽。思わず顔がほころんだ。これはやはり、犬や蓼が顔を出しそうなたぐいの物語なのだろう。そしてもしかすると、まどろむ若い女と、夢見がちな老人が垣間見た幻が重なり呼応した、一瞬の夢かもしれない。リアルに見える渇いた映像、淡々とした語り口に、観る者も惑わされ、不可思議な世界に迷い込む。
メインの三人はもちろん、この作品に登場する人々は揃いも揃って不穏さをまとっている。大学生アキコに訳知り顔に説教する男(でんでん)はデートクラブの元締めだし、元大学教授タカシの隣人女性のねばっこさは、声だけでも鳥肌もの。アキコを乗せるタクシー運転手やたまたま出会うタカシの教え子さえ、「何かある」気配を漂わせ、観る者の心をざわめかせる。(…そもそも、「何もない」人などおらず、それぞれに事情を抱えていて当然なのだが、私たちは時に自分だけが特別に思え、周りが見えなくなる。)そして、それぞれに後ろめたさを抱えるメインの三人。言葉や行動で相手を威圧し、自衛するノリアキ、自分からは決して動かず、のらりくらりと浮遊するアキコ、そんな二人にかかわり小さな嘘をついたことで、抜き差しならない状況に陥っていくタカシ。もつれた糸は、絡まっていくばかりだ。
いいトシした大人の男女が妄想・暴走する前作「トスカーナの贋作」には少々引いてしまったが、今回は、「若さ(老い)ゆえ」と多少の逸脱が許容されそうな若者と老人が主人公、という点がいい。身勝手なはみだしっぷりも、かつての記憶をくすぐられ、ある意味壮快。呆れつつもいつしか引き込まれ、彼らの行く末をあれこれと夢想してしまった。彼らのうち、誰に嫌悪し、いらつき、はらはらし、(多少なりとも)共感するか。そんなところから、観る者の本性さえ暴かれそうだ。
冒頭の繰り返しになるが、アキコやタカシのまどろみは、物語を夢と現実の世界へ融通無碍に行き来させる。さらにこの物語は、時間や場所さえも軽々と越える。はじめのうちこそ、深夜まで街頭で孫娘を待とうとする祖母の時間感覚に驚いたが(私の周りの年長者は、日暮れを合図に帰宅し、9時10時には就寝している。)、「待ち合わせの駅の銅像」として渋谷のハチ公ならぬ家康公(静岡駅?)が現れるという肩透かしに絶句。時間や場所にこだわらず、映画の世界に浸り愉しめばよいと悟った。看板や標識など細かな文字情報からロケ地の見当がついてしまう日本人ゆえかもしれないが、渋谷、静岡、横浜、青山…と瞬間移動を繰り返しつつ物語がなだらかに進む点が、地に足のついていない彼らを象徴するようで面白い。
観たあと、あれこれ考え、はっとし、ニヤリとさせられる。久しぶりに、映画らしい映画を観た。

cma
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「ライク・サムワン・イン・ラブ」:Like Someone in Love、:2012年、日本・フランス合作
監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
プロデューサー:堀越謙三、マリン・カルミッツ
撮影:柳島克己
録音・サウンドデザイン:菊池信之
美術:磯見俊裕
編集:バーマン・キアロスタミ
出演:奥野匡、高梨臨、加瀬亮、でんでん、森レイ子
理由なき退屈な殺人(三 池崇監督「悪の教典」)
『ヒミズ』で国内外の映画祭を総なめ、今年の映画祭「あるていくしねま」で上映した『5windows』の主演、染谷将太さんが出演しています。フィリップ・シーモア・ホフマンが目標、と某ラジオ番組で話していた若きカメレオン俳優、まだまだ目が離せません!…ちなみに、「染谷」は「そめたに(×そめや)」です。あしからず。

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いったいこれはいつまで続くのか。そもそも彼は、何のために殺しているのだろう?
淡々と死体の山が築き上げられる後半、ふと野暮な疑問が浮かんでしまった。人気者の高校教師、ハスミンこと蓮見の正体は、他人への共感性が欠如したサイコパス(反社会性人格障害)。彼の殺人には理由(いわゆる殺意)がない。殺したい、殺さなければならない、殺すべきだ…どれも当てはまらない。どこまでもシンプルに、ただ単に「殺す」なのだ。
学校を舞台としたバイオレンスものと言えば、「バトルロワイヤル」、三池監督自身の「愛と誠」「クローズ」…と枚挙にいとまがない(母子愛憎もの「少年は残酷な弓を射る」も、ある意味、このジャンル)。それらは、恐怖をあおったり、滑稽さをちらつかせたりして、観る者を楽しませ、惹き付け、飽きさせない。三池監督は、そんな術を熟知しているはずだ。その監督が、今回はあえて「退屈な殺人」という描写を意識しているように感じた。フィクションとはいえ、殺人とは、人の命をことさらに奪うこと。それを眺めて「退屈だ」と感じてしまった瞬間、後ろめたさ、居心地悪さ、自分への空恐ろしさが追いかけてきた。これが監督の狙いではなかったか、とハッとした。
もちろん、様々な仕掛けはある。人殺しをモチーフにした歌を絶妙に織り混ぜたり、猟銃が異形となり主人公に語りかけたりし、ニヤリとさせられる。しかし、加速はしない。あくまで抑制が効いている。主人公が殺しを繰り返す背景は徹底して垣間見せず、推測の余地を与えないのだ。
なぜだ、なぜやったんだ。理解不能の出来事に遭遇すると、私たちは納得できる理由を求める。すっきりと腑に落ちたい、安心したい、と思う。けれども、ともすると、納得や安心は安易な忘却に繋がる。自分に関係のない遠いことだから、もう済んだことだから、と。
しかし本作は、彼を恐ろしい人物とも滑稽な輩とも描かず、自分たちから遠ざけることを許さない。こんな人物、近くにいませんか。御用心、御用心。そうそう、そういえば、あなた自身は? わざわざこんな映画を観に来て、退屈だなんて感じるような共感性のないあなたは? そう囁きかけられている気がした。
…それにしても。冷酷非道なサイコパスとはいえ、所詮人間。どこかにヌケがあり、ミスをする。悲劇はそこから始まる。蓮見が完璧であれば、彼の正体は闇に葬られ、大胆なドミノ倒しにも似た大量殺人は起きないのかもしれない。とすると、殺人とサイコパス、どちらがきっかけで、結果なのだろう。タマゴとニワトリ、どちらが先か。あの問いに、どこか似ている。

cma

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「悪の教典」:2012年、日本
監督・脚本:三池崇史
原作:貴志祐介
出演:伊藤英明、二階堂ふみ、染谷将太、林遣都、浅香航大
60余名で緻密に造り上げられ る究極のエロス(フレデ リック・ワイズマン監督「クレイジ ーホース・パリ 夜の宝石たち」)
セントラルホールといい、チネ・ラヴィータといい、ドキュメンタリーがぞくぞく公開中!のこの頃。もどかしいことに、身体も時間も足りません…。それでも何とか観ることができたワイズマンの新作。つくづく、よかった…です。チネ・ラヴィータにて9日まで、夜1840~のみの上映となっていますが、是非ぜひ。ワイズマン?!という方も、比較的観やすい作品かと思います。
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映画が始まり、しばらくして驚いた。「え? ワイズマン監督なのに音楽が?」監督といえば、ナレーションなし、字幕なし、音楽なし。素っ気ないほど淡々としたつくりでありながら、映像は饒舌にテーマを語り出す…というのが持ち味のはず。80歳を越えて心境の変化が?と戸惑ううちに、あっさりと謎は解けた。今回の題材は、パリの歴史あるナイトクラブ、クレイジー・ホース。映像に似合いすぎるその音楽は、舞台上の音楽だったのだ。やはり、ワイズマン節は健在。にやりとさせられた。
洗練されたヌードダンスを夜な夜な披露しているクレイジー・ホース。このような機会がなければ、この種のショーに触れることはまずなかっただろう。ワイズマン監督は、相変わらず冷静に、一流のエロスを創造する人々を追う。ダンサーたちを選ぶ規準は、踊りの資質ではなくボディライン。映画の初めから終わりまで、踊る彼女たちの裸体が繰り返し映し出される。他人のお尻や胸を、こんなにアップで様々な角度からまじまじと見たことはないかも…と思うくらいに。けれども、そこにいやらしさは全くない。あくまで、エロスを造り出す要素のひとつ。そんな彼女たちの身体は美しく、しなやかで力強かった。
いつもながら、様々な人や場所へ丹念にカメラが向けられる。ミーティングでの舞台監督と衣装係のバトルなど、定番とはいえスリリングで息を飲む。舞台監督が産みの苦しみやひらめきの大切さを説いても、「創造はあなたの仕事。私の仕事をしっかりやらせて。」と臆せず言い切る衣装係。思わずゾクリとした。「芸術だから」でなんでも許され、可能になるわけではない。ショーには、ビジネスとしての側面もあるのだ。彼らは、お客だけでなく、株主さえも納得させる必要がある。そして、彼ら自身に対しても。異なる立場からショーにかかわる以上、激しいぶつかり合うことは時に必至だろう。しかし、目指すところは共通。そこにプロの厳しさ、爽快さを感じた。
加えて印象的だったのは、ダンサーたちがロシアの有名バレエ団のビデオをわいわいと眺めるシーンだ。小さなミスを見つけては笑い転げる彼女たち。しかし、ふとあるダンサーがつぶやく。「床が滑りやすいのね…踊りにくそう。」そんな悪環境は、クレイジー・ホースではまず考えられないことだろう。彼女たちには、常に最高の舞台が用意されている。選び抜かれ、研ぎ澄まされた音楽、照明、衣装…。ダンサーが気に入っている衣装さえ、照明が当たると身体のラインが映えないからと作り直される。そして、昼夜問わず街頭に立つドアマンや、黙々と舞台道具を設置し、舞台を掃除するスタッフ。そんな一人ひとりの存在を、ワイズマン監督は余さず際立たせる。
最高の舞台をめざし、地道な継続と改善を積み重ねていく人々。舞台がいかに複雑で緻密か、痛感させられた。瞬く間の134分、久しぶりに充実感ある映画を観た。
(ちなみに…以前、地方で同国の某有名バレエ団の公演を観たことがある。公演前に、ホール近くのファミレスで団員らしき女性たちが食事をしていて驚いた。さらには、音楽は運動会のBGM並みの大雑把さ…。そんなことを、ふと思い出した。)

cma
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「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」:Crazy Horse、2011年、フランス・アメリカ合作
監督:フレデリック・ワイズマン
居心地悪さを、じっ くり丁寧に。(ナンニ・モレッテ ィ監督「ローマ法王の休日」)
タイトルや予告編からイメージされる「おしゃれでポップなハートフル・コメディ」からは程遠い作品です。夏に都内公開され大盛況となり話題となりましたが…。むしろ、深まる秋にふさわしい作品だと思います。

※フォーラム仙台では、11月2日まで公開です!

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ナンニ・モレッティ監督とは、「親愛なる日記」以来のお付き合いとなる。ベスパに乗った姿は監督作品のトレードマークにもなり、今回も本編前に登場した。出来ることなら素知らぬ顔でやり過ごしたい、気恥ずかしさ、気まずさ、居心地悪さ。モレッティ監督は、日常に潜むそんなあれこれを、じっくりと丁寧に描く。今回も、彼の持ち味が存分に発揮され、幾度となくにんまりとした。(その点、邦題といい予告編といい、ちょっと、いや相当に!ずれている気がした。ドタバタコメディを期待した人は、かなりの肩透かしだと思う。)
まず、「画」は楽しく、愛嬌がある。赤い帽子にガウン姿(おそろい…のようで微妙に違う。スカパラこと東京スカパラダイスオーケストラのスーツのようでお洒落。)の枢機卿たち。一応は「オトナ」に振る舞いながらも、実際は「コドモ」全開。新法王の選挙にドキドキハラハラ、自分に火の粉が飛んでこないと分かった途端、あっさりお気楽モードになる。シュークリームが食べたい、ガラパッジョ展が見たいと外出したがる三人組には特に笑った。さらには、新法王のカウンセリングを皆で取り囲みワイワイガヤガヤ、アッパーもダウナーもごちゃまぜな愛用の精神薬談義、やたら盛り上がったわりに尻すぼみになるバレー大会。ありゃありゃ…と一瞬は呆れ、たしなめたくなるけれど、「うーん、なんか、わかるなー」という気持ちが勝ってしまい、苦笑い。…あ、そうだ。あの寺村輝夫の「ぼくは王さま」の王さまがいっぱい、と例えたらぴったりくるかもしれない。どこまでもマイペース。好奇心旺盛な半面、ちょっと臆病で移り気。無責任と言えばそれまでだが、憎めないのはコドモ
のような笑顔のせいだろうか。
とはいえ、物語全体は軽やかさからは遠い。法王という大役に怖じ気づき、街にさ迷い出たメルヴィル。ところが、この映画は、主役である彼を突き動かすような、決定的な出会いも出来事も用意していない。私たちの日常がそうであるように、悩める彼は、どこまでも孤独なままなのだ。
人は、そう簡単には変わらない。とはいえ、「今のまま」もあり得ない。小さなあれこれの積み重ねを経て、少しずつ新たな一歩を踏み出していく。周りの期待に応えるよりも、自分の気持ちを優先した彼の選択。それはむしろ、諸々の面倒を引き受ける覚悟が必要だ。彼を賞賛することもできないし、批判もできない。ただ、ほろ苦さと苦し紛れのほほえみが、余韻として残った。
それにしても、歳を重ねてなお、ミシェル・ピコリは面白い(年長者に生意気ですが…)。往年の彼はギラギラと毒が強いが、いかにも「人のいいおじいさん」といった風貌を手に入れてから、曲者ぶりが倍増した。「ここに幸あり」では性別まで超越するなど、新作の都度、驚かされる。大滝秀治さん亡き今、愛敬と毒を併せ持つ大御所俳優ピカイチかもしれない。これからも存分にはじけてほしい。

cma
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「ローマ法王の休日」:Habemus Papam、2011年、イタリア・フランス合作
監督・製作(共同)・脚本(共同):ナンニ・モレッティ
出演:ミシェル・ピッコリ、ナンニ・モレッティ、イエルジー・スチュエル、レナート・スカルパ、マルゲリータ・ブイ
「第4回世界子供短編映画 祭@masda」レポート
第4回世界子供短編映画祭@masdaに行ってきました。
恥ずかしながら今回初めて知ったのですが、こちらの映画祭は名取市増田で始まった映画祭。今回は子育て支援施設「のびすく泉中央」の主催で、7月に名取市で行われたものの再映でした。ちなみに、「子供」短編映画とは、「子供向け」映画ではなく、子供が主役の映画、という意だそうです。
プログラムは、「ハンブルグ国際子供短編映画祭」の出品作品で、欧米圏のものが中心。とはいえ、ドイツ制作の韓国人監督の作品もあり、さらにはルーマニア・ロケのイギリス制作のイタリア人監督作品なども。EU圏内は国境が低くなっているのだなと改めて実感しました。
映画祭の進行は、作品上映前後に紹介と解説をはさんで2、3作品ずつ、計10作品を3時間ほどかけて上映するという、ちょっと珍しいスタイル。さらにユニークなのは、字幕ではなくライブのアテレコがかぶさる点です。担当するのは声優をめざす若い方々とのこと。お芝居のような緊迫感がありました。
今回私に同行してくれたのは、映画祭最年少スタッフ(一歳2ヶ月)。彼のご機嫌しだいで即退場…と覚悟して臨んだのですが、なんと、奇跡のほぼフル参加!がかないました。前半はスクリーンを眺めながら声は出さずにちょろちょろ一人旅(遊び)、後半は遅めの昼寝。感謝感謝、です。
彼が気に入ったのは、水彩画タッチのモチーフが、流れるように形となり物語を紡いでいく「ミラマーレ」。私はイタリア出身の女性監督の2作品「空へ」「タンマ」。前者は高飛び込み、後者は新体操に打ち込む少女を描いています。どちらもセリフはごく限られ静的なシーンが多いのですが、彼女たちの佇まい(背中や足先、といったもの含め)から物語が豊かにあふれ出してくるようで、息苦しいような感情の高ぶりを感じました。ちなみに、「タンマ」とは滑り止めにつかうチョークの粉=炭素マグネシウムの通称だそうです。
また、「空へ」は、たまたま最近見た石井聡互監督の旧作「水の中の8月」を連想させるものがありました。硬質、透明、流動性、みずみずしさ…「水」は、少年少女と相性がよいモチーフなのかもしれません。「ヤネック」というアル中の母親と暮らす少年の話も、水にまつわる物語でした。酔った母親は缶詰の魚を浴槽に浮かべて泳がせようとし、少年ヤネックは、金魚をピクルスの瓶に閉じ込め飼っている。その金魚が最後には…という対比が印象的でした。
私たちの映画祭のちらし折り込み作業をきっかけに知った今回の上映会。よくわからないけれど、どこか気になる!そういうものには、思いきって近づいてみる、試してみる。必ず思いがけない収穫があるはず! そんなことを実感した一日でした。世界子供短編映画祭さん、たくさんの素敵な出逢いをありがとうございました。

cma
ひといきcolumn・育児 と映画14~ママシネ マにピママシネマ、初の海外作品 !(「白雪姫と鏡の女王」の巻)
2か月ぶりに「ほっとママシネマ」へ行ってきました。簡単に言えば、子連れOK上映会。子どもが驚いたり怖がったりしないよう、場内明るめ、音は小さめ、泣いても騒いでもお互い様…というものです(詳しくは、以前のブログをどうぞ)。ちなみに、先々月の上映作品は、映画祭に一日フルで登場してくださった沖田修一監督が「奮い立った」映画『おおかみこどもの雨と雪』でした。
そして、今回の作品は…7回目にして初めての海外作品! 「白雪姫と鏡の女王(日本語字幕版)」。始まってから吹替え版でないことに気付き、少し意外に感じましたが、これが実は正解でした。今までは、子どもの様々な声でセリフがかき消されて聞き取れないことがありましたが、字幕ならそんな心配なし。視覚情報というものは、ちら見でもしっかり入ってくるんだなあと実感しました。(プラス、最近の日本映画(特に、いわゆる大作)は、音のレンジが極端なまでに広いように感じます。そこまでメリハリが必要なのか…。)
そもそも、子連れ上映会で映画を楽しんでいるのは大人たち。子どもたちは、遊び、ぐずり、眠り…と思い思いのことをしています。大きなスクリーンに映し出される映画の前で、気ままに過ごす子どもたち。なかなか良い眺めです。
さて、以前は寝るかぐずるかだった息子も、回を重ねるにつれ、遊びがメインになってきました。今回は、初めてまったく眠らず。食べるのもそこそこに、ところ狭しと全力で遊びまくりました。おもちゃを取り揃えたプレイスペースも用意されていますが、ほとんどの子と同様、彼のフィールドはシアター全体。階段を登って、降りて、シートの下にもぐり…を何周週したことでしょうか。途中途中で小さな子をじーっと眺め、大きな子の遊びに混じろうとし…。他の子どもたちに関心を示すのも新鮮な行動で、成長を感じることができました。
かといって、映画にまったく無関心というわけではありません。パーティーシーンでは一緒に拍手をし、エンディングのマサラ・ムービー風のダンスシーンでは身体をゆらゆらさせて楽しげに「参加」していました。何よりなにより!
さて、次回はどうなりますか…。

cma

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「白雪姫と鏡の女王」:Mirror Mirror、2012年、アメリカ
監督:ターセム・シン
原案:メリッサ・ウォーラック
脚本:マーク・クライン、ジェイソン・ケラー
衣装:石岡瑛子
出演:ジュリア・ロバーツ、リリー・コリンズ、アーミー・ハマー、ネイサン・レイン、ショーン・ビーン
つくづく、男って…( スティーブン・ソダーバーク゛監 督「エージェント・マロリー」)
映画仕様のマロニーほしさに、初日初回に行ってきました。思わず、受付で「エージェント・マロニー」と言ってしまった…。
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はっきり言って、大作ではない。二本立てなら、ラスト一本割引されないほう。朝一番に掛からないほう。レコードで言えば、B面。でも、出会うとほくほくと得した気分になること受け合い。「小気味良さ」とはこういうこと、と鮮やかに魅せてくれる93分だ。
原題『Hayware』は、1.干し草を束ねる針金、2.興奮、混乱、狂乱。あの邦画以上に「ひっちゃかめっちゃか」に展開する。雇われスパイ稼業から足抜けするマロリーに仕掛けられる、幾重もの罠。『トラフィック』『コンテイジョン』同様、舞台ごとにグレー、ブルー、イエロー…と色調が変わり、マロリーの活躍も八面六臂だ。逃げ、攻め、潜み、仕掛ける。
一方、対する男たちは概して精彩を欠く。主役級の俳優がズラリと揃っているのに、マロリー一人にかなわない。まあ、それでよいのだ。新しい恋人も、かつての恋人も、「なぜこんな男に、あのマロリーが?」と首をかしげたくなるが、そこは突っ込んではいけない。所詮は、マロリーの引き立て役なのだから。「絶対領域」の父親は別格として、唯一キラリと光るのは、ダイナーに居合わせたばかりに巻き込まれ、マロリーの逃避行に同行するはめになるメガネのにーちゃん。肩肘張らずカッコつけず、ひたすら慌てふためいているところがかえっていい。誠実ささえ感じさせる。続編を作るなら、ぜひ再登場願いたいところだ。世の中の男性諸氏も、半端なやせ我慢や背伸びより、全力で慌てふためくほうが好感が得られるらしい、と記憶にとどめておくとよいと思う。
ダメッぷりを競い合う悪役男優陣の中で、頭ひとつ出ていたのは、今が旬のマイケル・ファスビンダー。『プロメテウス』でのアンドロイド同様、どこか得体が知れず、おまぬけなのか切れ者なのか、と観る者の予想の振り子を大きく揺り動かし、楽しませてくれる。『ジェーン・エア』も彼あっての作品だった。今後にますます期待が掛かる。
それにしても、それにしても。マロリーの前にガチッと立ちはだかる、骨のある男はいないのか? しばし頭をめぐらし…思い付きました! 「ノー・ワイヤー、ノーCG、ノー・スタント」のないない尽くし、タイが誇るトニー・ジャー! 肉弾戦向きな彼ならぴったりです。さらには、『チョコレート・ファイター』の無敵少女も絡めば、面白さ倍増かもしれません。ぜひ続編は、アジアで熱い戦いを! かなり本気に期待します。

cma

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「エージェント・マロリー」:Haywire、アメリカ
監督:スティーブン・ソダーバーグ
製作:グレゴリー・ジェイコブズ
製作総指揮:ライアン・カバナー、タッカー・トゥーリー、マイケル・ポレール
脚本:レム・ドブス
撮影:ピーター・アンドリュース
出演:ジーナ・カラーノ、マイケル・ファスベンダー、ユアン・マクレガー、ビル・パクストン、チャニング・テイタム
説教する男は、かっこいい!(鈴 木太一監督「くそガキの告白」)
※いよいよ!
明日22日から、桜井薬局セントラルホールにて「くそガキの告白」が20時~一週間限定上映されます。
明日は太一監督の舞台挨拶があります。あさっては次の上映が控えている大坂へ旅立たれてしまいます。貴重なこの機会をお見逃しなく!
※本日21日、河北新報夕刊には紹介記事が掲載されました。「いつもの姿」の写真付きです。

~~~
冒頭から、いきなり持ってかれる。
「信二」も、「ベージュ」も、始まって間もなく、胸ぐらを掴まれるように映画の世界にぐいぐいっと引き込まれた。本作は、そんな威力に磨きがかかっている。「なんじゃあ、これは~」と呟きたくても、そもそも息つく暇がない。
行き詰まると周りに当たり散らすばかりで、なかなか一歩を踏み出せない映画監督(未満)・大輔。そんなうじうじした男が主人公でも、物語はグダグダから程遠い。ラブストーリー、オカルトホラー、熱血青春もの…様々なジャンルをひょいひょいと跳び移りながら、エネルギッシュに駆け抜ける。
画面からはみ出るほどの迫力や強引さにうっかり見過ごしそうになるけれど、細かなところもスキがない。登場人物への想いと、映画への愛に満ちている。たとえば、「働け!」と母親が押し付ける求人誌には、ちゃんとふせんが貼ってある。お母さんはどんな思いで息子のために求人誌を読み込み、ふせんを貼ったのだろう…と想像はふくらむ。それから、桃子が大輔に振る舞う手料理・肉じゃが。「わあ、ありがち!」と思ったら…なぜか鍋ごと登場。ええ?という思いは、数分後にきっちりと、思わぬ方向で昇華される。思わずにんまりとした。
珠玉の3分11秒「ベージュ」でも感じたが、太一監督が描く、説教する男はなぜか不思議にかっこいい。私も説教されてみたい…なんて思ってしまう。うじうじうだうだしていたはずの大輔も、最後はキメる。彼は、様々な出来事を通していつしか成長していたのだろうか? …いや、これはきっと、成長だけではない。滅茶苦茶でも破れかぶれでも、伝えたいという一途な思いは人一倍、の大輔。きれいな言葉より、そんな必死さこそが「効く」、と改めて思った。自分はダメダメでも、大切な人には(自分のことを棚にあげて)真剣になれる。大切な人へのまっすぐな思いは、自分に対しても、まっすぐに向けられるはず。必死に紡ぎ出した言葉は、口にすることで自分にも響く。そうだ、自分だってまだまだ捨てたもんじゃない、と後押ししてくれるのだ。
人を励ますことで、自分も元気になる。文字にすると当たり前なことだけれど、日常の中ではなかなか実感しにくいことを、映画は確かな手応えとともに伝えてくれる。

(『信二』仙台短篇映画祭「新しい才能」公募選出作品
『ベージュ』オムニバス「311明日」(仙台短篇映画祭制作作品))

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「くそガキの告白」:2011年、日本
監督・脚本:鈴木太一
プロデューサー:小林憲史撮影:福田陽平
照明:上村奈帆
録音:成ヶ澤玲
美術:寺尾淳
衣装:袴田知世枝
音楽:佐藤和郎、八澤勉
出演:今野浩喜、田代さやか、辻岡正人、今井りか、仲川遥香
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